おじぎするマレンゴ

教育についての雑記をほぼ週1ペースで書きます。気になっているテーマは「探究型の学習」「教師教育」

【一斉授業を手放すこと】

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(※ 字が汚い黒板ですみません・・・。)

社会科の授業の流れは、主に一斉授業でしていました。

一斉授業をしたくて、しているというよりも、

「試験範囲を終わらせなければ!」という気持ちが強いです。

授業の流れは、

①5分間 5問100点満点の筆記式ミニテスト+1、2年の復習を口頭で

②15分一斉授業→5分雑談(時事問題)→15分一斉授業 

・授業プリントを用いる。ただし、穴埋めは各自で。板書1面に書いてい

 き、1回も消さないスタイル

③5分 教師によるまとめとそれぞれノートの整理やふりかえりの感想

 を書く時間 

とても社会を好きになってくれる生徒が増えて、意欲的に社会の学習をしてくれるようになりました。

ただ、一方で、受け身、ノート書くだけ、聞いてはいるけど理解はしていない、という生徒も、増えていきました。

 

卒業して、高校生になって、

「先生の授業を受けて作ったノートをいまでも、参考書にして高校でも、

 勉強を頑張れています。」

と言ってくれる子がたまにいましたが、

「先生の授業じゃないから、現代社会とか勉強する気なくしました。」

「もう1度中学生に戻りたいです。」

という、卒業生が何人も来ました。

 

高校に行っても、学び続けることができるような生徒を育てていたんだろうか?

自分の授業を面白いと思ってもらうために、授業をしていたのではないだろうか?

 

そういった、問いが自分の頭にぐるぐる回るようになりました。

 

中学校は、本当に一斉授業一辺倒の授業が多く、

ひたすらに生徒が聞くスタイルが多いです。

 

下手したら、隣の人に「ねぇ、ねぇ、今の先生の説明どういうこと?」と、

聞いたら「お前、何いま私語してるんだ!!」と、叱られた、

という話も聞きます。

 

そのような授業スタイルを取っていながら、

「なぜ、あんなに生徒たちは挙手をしないのだ?」

「今の子どもたちは、自主性がない!やる気がない!」

「内申に関わるよ!といっても、手を挙げないんです。ありえません。」

ということが、職員室の中の会話として繰り広げられるから、

もう、ものすごい矛盾。

 

僕は、一斉授業で、それなりに生徒の偏差値を上げられるという結果が出ていたので、

違和感を感じながらも、辞めるに辞められず、そのスタイルを続けてきました。

 

さて、ようやく一斉授業を少しずつ、手放し始めました。

その際にいろいろ考えたことは以下のことです。

 

①授業内容の厳選をしよう。

 ・本当に、ここまで授業で扱う必要があるのか?

 ・高校入試は最低限カバーしよう。

 ・社会的事象の見方、考え方を伝えたい。こういう見方があるんだよ、

  どうだ面白いだろう。当たり前と思っているものがひっくり返るだろ

  う。というような授業をしたいけれども、それは優先順位が高いか?

 ・でも、そういう視点を伝えられるのも、自分の強みだよなぁ。

 

②分からないことを、教えてと人に聞く習慣を身につけてもらいたい。

 ・社会に出て、役に立つのは「知識」だけではなく、分からないことを

  人に聞けること、学んだり、課題を解決するためには、人間が強力な

  リソースになるんだということ。

 ・たくさんの思考スキルがあるけれども、それ以前に人に聞けることの

  方が優先順位が高いのではないか?

 

③中学校を卒業しても、学び続ける人になってほしい。

 

このようなことを考え、ここ2週間ほど実践したら、

15〜20分ほど生徒に時間を預けられるようになりました。

 

預けた15〜20分でしたことは、

 

・班の形にして、プリントの穴埋めは一緒にする。

 (一斉授業では、隣の男子のノートを見せてもらいにくい女子が、

  班の形だと、隣が女子になるので、簡単に聞けるっていう子もいる。)

・授業内容が理解できた人は、ワークに取り組んだり、他の人を教えたりしてOK

・いまの日本の課題について、話し合うフリートーク

・班の中で、ホワイトボードミーティング

 

まだまだいろいろできそうなアイディアはあるのだけれど、

それは、また後日実践してから報告します。

 

少しずつの時間だけど、預けていたら、ちょこっと生徒の雰囲気が

変わったかも、という実感はあります。

それを数字で示したり、エピソードとして語れる段階にはないのですが・・・。

後日、もっと、子どもの様子でエピソードを語れるようにします。

 

実は、手放すということは、子どもたちの大きな可能性を

育てることなのかもしれません。