おじぎするマレンゴ

教育についての雑記をほぼ週1ペースで書きます。気になっているテーマは「探究型の学習」「教師教育」

哲学対話 本質観取をしてみて思ったこと

今のクラスの第1回の道徳の授業では、「てつがく絵カード」を使って授業を行いました。昨年度、1度使ってみて、面白かったので、10セットそろえてみました。

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 「幸せって何?」ということを1時間かけて考える時間をとりました。  

①最初は、4人班で、「王様」「ホームレス」「踊っているお父さん」などの絵を幸せ順に並び替える作業。 「王様は、いろいろ仕事がめんどくさそうだから、幸せじゃないよね」 「ホームレスは、些細なことでも喜べるから、きっと幸せだよね」 と、いう具合で話し合いが各班で進んでいました。

②そのあと、4人班と4人班をくっつけて、話し合い。すると、自分たちが並べた順番とは違っていて、これまたお互いの価値観が違うことが明らかになり、驚いている人もいました。

③その後は、クラス全員で円になって話し合い。ある生徒の「髪の毛だって、お金で出来てる!幸せはお金で買えるのだ」発言が印象的でした。一方で、ある生徒の「みんなの幸せはそれぞれ違う」発言で、クラスでが、その通りだ!というような雰囲気で拍手が起こりました。

 

結構、この流れでなかなかいい授業だったのかなぁって思っていたのですが、そのあとの授業でのふりかえりジャーナルに、こんなコメントが書かれていました。

 

 

 「道徳だから仕方ないと思うが、ほとんど定義できない「幸せ」についてその意味を考えていく上で「人それぞれだよ」で終わらせるのは議論の意味がないと思った」

 

 

たしかに、「人それぞれだよ」という言葉は、とても大切なことかもしれないけれど、それで全て片付けてしまったら、人が歩み寄るのを諦めてしまうのではないか、と私はこの生徒の意見から危機感をもちました。そんな哲学対話をしたかったわけではない、と。

 

そこで、第2回の哲学対話では、本質観取で、「幸せってなんだろう?」ということの共通了解をする授業にしました。1時間の流れは以下の通り。

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やってみて、すごく難しいなぁって思ったことが、「自分の経験からその言葉についてのことを語る」ということです。なかなか恥ずかしくて言えないエピソードばかりなのか、エピソードを語るということに慣れていないのか、はたまたそのような突っ込んだ内容まで話す人間関係ができていないのか、、、。そんなにエピソードがするすると出てこないような感じでした。これは、慣れてくればもっとうまく話したり聴いたりすることができるのかな?

 

そして、出来上がった各班の言葉

【1班】幸せとはお金で取り戻すことのできなかけがえのないものが存在していることである。

【2班】幸せとは、日常生活で、あたりまえのことをあたりまえにできること

【3班】幸せとは、今生きていることが続くこと

【4班】幸せとは、①生きていること ②自分の利益になっている ③ その利益を喜べること

【5班】幸せとは、大切な人がいてある程度、自由に生きて美味な飯を食べみんなが笑顔でいること。

【6班】幸せとは、好きなことをしてるとき。好きなものを食べているとき。好きな人といるとき。

 

そして、この授業を見学してくれた大学院生の皆さんのふりかえりを読んで痛感した1番のことは、

「これを社会科の授業でやっていきたい」ということです。私の考える社会科の授業の目標は簡単に言うと、「どうやって自分が幸せに生きていくか、どうやってみんなが幸せに生きていく社会をつくっていくかを学ぶこと」だと思っていて、そのためには、こういった哲学対話をいろんな概念で経験していって、お互いの価値観をぶつけたり、すりあわせていったりする経験が、大事なのではないかと思うのです。

 

クラスでの哲学対話は、続けつつ、社会科での取り組みが今後の課題です。