おじぎするマレンゴ

教育についての雑記をほぼ週1ペースで書きます。気になっているテーマは「探究型の学習」「教師教育」

遊びとスパイダー討論

 過去に何回かスパイダー討論をやっていて、今年のクラスでは4回目スパイダー。

horsefield98.hatenablog.com

 今回は、こんな感じでやってみました。

 

最後の道徳:スパイダー討論 

前の日のジャーナルで、「スパイダー討論で話し合いたいテーマは?」というお題を出して、それを全て黒板に書き出しておいた。それを、みながら朝の会で、
A 学校は必要か 

B クラスのラストは何をしたらいい解散か 

C 鶏と卵どちらが先か
という3つのテーマに決めて、自分が話したいテーマのグループに行ってもらった。
Cだけ人数が多すぎたので、2グループに分ける。
A・・・今までの討論でよく喋るメンバーが集まった。
B・・・お祭り系(?)女子が中心で集まった
C・・・おふざけ系(?)男子が中心で集まった。

同質性が高いメンバーだと、「うんうん、その通りだよねー」という相手を承認するだけのコミュニケーションが以前まで多く、そこまで議論が深まらなかったので、そういうグループにはならないようにバラバラにしようとも考えたんだけれども、今回はあえて、同質性が高いグループで組んだあとに、
「批判的思考」を大切にしよう、ということを話して始めた。
(批判するということではなく、本当にそうだろうか?ということを聞いてみよう、というようなミニレッスン)


この「批判的思考」を、PBLの授業にも生かしたいという目的があったので、やってみた。

 

いつもは観察者を2人おくけど、みんな話したがっていて、観察者がいない。
なので、スパイダーの記録をとるために、それぞれのグループで一人話しながら記録をとってもらう人をお願いした。(これはのちに失敗だと思った)スパイダーの図を書いている人が、グループの中にいることで、その図をチラチラみながら、図の書き方についてのいちゃもんをいう男子。「俺は、べつに人の意見を遮ってねえよー」みたいな。ただ、一方でこれはいいかも!?と思ったのは、書かれている図をチラチラみながら、誰に話をふろうか考えている人もいる。図をみなくてもできるようになるのが、理想だけど、練習段階ではこういうこともあり。ただ、生徒の振り返りには、当たり前だけど、「記録しながらだと、会話に参加しにくい」ということ・・・。そりゃそうだな・・・・。

 

個人的に一番面白かったのは、男子ばかり集まっている「鶏と卵」

 

鶏と卵チームでは、空想遊びのようなものを10分くらいしていた。

「最初は、ワニだったんだよ。」

「え?ワニ?」

「うん、ワニが逆立ちしたり、ひっくり返って卵を産むんだ」

「その卵から産まれたのが、ニワという生き物」

「えーー???笑 それはどうやってニワトリになるの??」

「たぶん、庭で1羽産まれたんだと思う。それが2羽目が産まれた時に、突然変異が起こったんだよ。」

「そっか!だから、最初はイチワトリ、って名前だったんだよ。」

「次に産まれたのが、ニワトリってことか!(笑)」

「でもさ、3羽産まれたら、サンワトリにはならないの?」

「うーん、よくわからないねえ、ハハハハハ!」

「お前も、逆立ちして子ども産んでみたら?」

「いや、男だから産めねえし!」

 

中三男子。ここまでで、10分経過。スパイダー討論の時間設定を25分にしたので、約半分近くの時間が過ぎてしまったことになる。でも、私は明らかにふざけている様子の彼らには注意はしませんでした。なんだか、すっごく楽しそうにニコニコしていて、普段爆笑しない生徒まで爆笑していて、そういう時間を過ごさせてあげるのも、まぁいいかなぁと思っていたから。

そして、散々遊んだ後に、鶏と卵についてしっかり話そうと、この男子の中の誰かが言い始めて、そこからスッと話し合いに戻ったのです。

 

このおしゃべりで遊ぶ時間で子供達は何をしていたのだろう?

こういう遊ぶ時間って、他の授業でもよく見かける。この遊びの時間を通して、脳のウォーミングアップのようなことをしているんだろうか?

この遊びのような時間を「関係ないことを喋るな!!」と禁止してしまったら、おそらくそのあとの話し合いが進んでいかないかもしれない。だから、本当に本当に叱らなくてよかったなぁと思う。まぁ、全く叱ろうという気持ちにはならないくらい、子供達の笑顔がよかったんだよなぁ。

 

遊びの力については、こんな本を最近読んでいる。

プレイワーク―子どもの遊びに関わる大人の自己評価

プレイワーク―子どもの遊びに関わる大人の自己評価

 

この本のp.69 以降に遊びについての様々な言葉や定義が書かれていて、その記述の中に、子どもたちがやっていたことの意味が書かれているように思った。

例えば、こんな記述があります

気持ちの表現指標

遊びの場では、子どもが次のような気持ちを表現できるようにすることが必要です。

幸福感 喜びや満足を表現すること

独立心 権威や支配に寄りかからない気持ちを表現すること

自信 自己肯定感を表現すること

利他的 人や物事に対する固い信頼感を表現すること

バランス 心身の安定を表現すること

行動的・没頭 エネルギーにあふれ、自由に動き回り、または深く没頭すること

安心感 恥ずかしさやぎこちなさ、束縛、堅苦しさから解放された気持ちを表現すること

 男子たちは、遊びながら、「行動的・没頭」「安心感」というような気持ちを感じていたのではないだろうか。そして、そのような気持ちを十分に感じて、心があったまって、ウォーミングアップが完了したような感じになって、鶏と卵について考えるようになったのだと思う。

その後の、スパイダーはこんな感じだった。

 

「何かしらの原因があって突然変異したんだと思うんだ。だから、鶏が先。」

「もしかしたら、本当にワニだったかもしれないよね。何かの地球の環境の変化があって、突然変異したのかもなぁ」

「どんな環境の変化だったんだろうねえ」

 

子どもが、じっくりと遊ぶための時間を確保するということは、間違いなく学習にも繋がるということを実感。そして、私の中にはいろんな問いが出てきた。

・最近いろんなところでよく言われるように、遊ぶこととと学ぶことに違いってないのか?

・遊ぶことと学ぶことを、分けているのは大人の都合か?

・子どもは、遊びと学びをいつから分けてしまうのか?そもそも分けているのだろうか?

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この写真は、昨日うちの娘(3さい)が公園で拾ってきた小さな種やBB弾をノートにはっているものです。これは、遊びでしょうか?学びでしょうか?そもそも、そういう分け方に意味はないのかもしれません。